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ザ・ジャネット(THE JANET)は、1973年から1975年まで活動した日本のロックバンド。一般的に、松尾一彦と大間ジローがオフコース加入前に所属していたグループとして知られる。定冠詞の「ザ」を省略し、単に「ジャネット」と呼ばれたり、表記される事も多い。 田辺エージェンシー系列の事務所に所属していた。 ==概略== 1972年夏、当時高校3年生だった大間仁世(のちの大間ジロー)が松尾一彦のロックンロールを歌う姿を見て度肝を抜かれ、翌年1月松尾の通う秋田県立能代高等学校に直接電話を入れ、上京して『ロックンロールコンテスト(ロックンロール振興会主催)』の出場することを誘ったことから結成された。 当時のバンド名は『ドナルドダック』。メンバーは、大間と松尾の他に大館在住の陸川明彦、大間の学校の先輩だった佐々木克見だった。 『ロックンロールコンテスト』に準優勝したことから、その副賞として約束されていた日比谷野外音楽堂での『ロックンロールカーニバル』に出演。その後、またあてのない練習の日々が続いた。その間に方向性の違いからリーダーの陸川が脱退、幾度のオーディションを経て、松尾の高校時代の同級生だった大塚幸雄が加入した。 1973年秋、彼らは日本テレビのアマチュアバンド・コンテスト番組キンキン&ムッシュのザ・チャレンジ!!への出場を決断。バンド名を『ザ・ジャネット』に改名して出場、12月30日に初代優勝者に輝いた。優勝の約束として、東芝EMIより「美しい季節/恋はサーカス」でデビュー。その際にドナルドダック時代の縁でロックンロール振興会の関係者がザ・ジャネットのために立ち上げた事務所に所属、メンバーは全員改名した。(以下を参照) 1作目シングルでオリコン50位以内(北海道では1位記録)に入るスマッシュヒットであったものの、これを含めた以降の発表曲はほとんど、彼らのオリジナルの曲ではなく、阿久悠、平尾昌晃、東海林修といった職業作家によって作られたものであり、歌謡曲風の曲調であったため、彼らの方向性、演奏に戸惑いが生じていた。その上、演奏や公開録音のために地方に行ったものの、手違いなどで出番がなかったりなど、散々な目に遭う日々だった。 そんなある日、マネージャーの自宅付近の焼肉屋でマネージャー夫婦と食事をしていた時、ふとしたことから大きな言い争いになってしまい、店内は荒れ、メンバーはマネージャーに殴られてしまう。この一件により事務所は解散、一時的に東芝に籍を置いたのち、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの所属する事務所に移籍。 しかし、その事務所はいわゆる「つっぱりバンド」がメインだったために、社長命令で長髪にハサミを入れることに。さらに新曲の最高のプロモーションになるとして、散髪の様子をテレビ東京の番組で放映。その後も社長によって、短髪にスカジャンといったいわゆる横須賀のツッパリ格好をすることになり、彼らのイメージは変わっていった。やがて、こういったプロモーションは、いわゆる色物扱いにつながり、彼らの音楽性は取り上げられることなく、1975年冬、流れのままに解散した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ザ・ジャネット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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